神戸のバアチャンが教えてくれたこと
更新日:2019/07/13
いつも弊社ブログを読んでくださってありがとうございます。
代表の菅原です。
先日、仕事で大阪に行って来ました。大阪といっても市内ではなく兵庫県寄りの大阪だったので、神戸で一人暮らしをしているばあちゃんに会いにいくことにしました。
叔父の妻の母なので祖母ではないのですが、親戚付き合いが密だったことから幼少期から『神戸ばあちゃん』と呼んで慕っていました。(以下バアチャン)
久しぶりに会ったバアチャンは髪も白くなり少し小さくなったように感じました。
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彼女は僕が3歳の時に癌で夫を無くし、約20年一人暮らしをしています。
家の中は段差だらけで、正直行くまで不安で仕方がありませんでした。
しかし、87歳になった今も掃除に洗濯、バアチャンは一人で何でもこなしていました。
認知症予防には段取りを考える『家事』が大変効果的という話を聞きます。
元気な彼女はまさにその模範的なケースなんだと思いました。
ご飯をご馳走になり、風呂に入って寝る前少し話していると、ふと思い出したように戦争の話をしてくれました。
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87歳のバアチャンは終戦時15歳。同じ年の神戸空襲で実家を焼かれ、父親を亡くしたそうです。
空襲の数ヶ月前、バアチャンのお父さんは家族を兵庫の西の外れにある上郡軍に疎開させました。
当時14歳だったバアチャンは、父の背を見ることしかできなかったそうです。
『神戸に戻る父の姿を一生忘れられない』と話していました。
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疎開先で父の死を伝えられ涙にくれたそうですが、『お父さんが身代わりになってくれたんだ。お父さんの分も生きなければならないんだ』と思い、自分の人生を一生懸命に生きることを決めたそうです。
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初めて聞く話で、言葉が出ませんでした。
我々が享受している平和も、酒を飲んでグータラしている僕の親父も僕にとっては当たり前ですが、当時のバアチャンにとってはどんなに切望しても手に入らないものだったのです。
バアチャンの様子を見に来たつもりでしたが、話し込んでしまいました。
言葉はゆっくり小さな声ですが、壮絶な時代を生き抜いた苦労や努力が伝わってくるようでした。
結局その日は泊まっていくことになりました。
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朝起きると、シャツにアイロンがかけられ、食卓には朝食が準備されていました。
僕は感謝を伝え、気を遣わせたことを詫びると、バアチャンは「主人が帰ってきたみたいだった。幸せだったよ。ありがとうね。」と涙目になりながら言いました。
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あることに気がつきました。
それは『僕とバアチャンの当たり前は大きく違う』ということです。
…まぁ言ってしまえば上記も『当たり前』なんですが。
シャツのアイロン掛けなんて、僕がテプラの次に苦手な作業ですが、ばあちゃんにとっては涙が出るほど嬉しいことでもあるわけです。
我々の日常は『当たり前』で満たされています。
明日が来るのが当たり前。
戦争がないのが当たり前。
家族がいるのが当たり前。
僕にとっては当たり前ですが、バアチャンにとっては当たり前ではありません。
僕が当たり前のように享受しているたくさんのことは、決して当たり前ではないのです。
もっと感謝の気持ちを持つべきなのだと思います。
明日が来ることに、ありがとう。
今日も世界が平和なことに、ありがとう。
家族がいることに、ありがとう。
不在の間会社を守ってくれるスタッフにも、ありがとう。
忙しい中時間を作ってくれたお客様へ、ありがとう。
当たり前になってしまわないように、
・当たり前を疑うこと
・感謝の気持ちを持つこと
上記を習慣化していこうと思います。
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余談ですが、僕が家に入るとすぐにバアチャン宅の電話が鳴りました。
電話に出たバアチャンが大爆笑していたので何事が聞くと、隣の家からでした。
「若い男が黒いバッグ持って入ってったけど大丈夫!?」
…ですって。いいご近所付き合いしているようで安心しました。
とはいえ、87歳で一人暮らしのバアチャンの家は今後どうなるのか。
病気になったり転んだりしたら、誰が助けてどこでどう暮らすのか。
介護認定調査で担当者にお茶を出したために、認定を受けられなかった不器用なバアチャンですが、
こんなお年寄りがいっぱいいます。
そんな人達を助けるために、自分に何ができるか日々考えながら、新しい取り組みと日々の業務に励んでいこうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
(菅原)